成宮由愛:無印
●初登場。絵を描くのが好きなのに由愛ママが勝手にオーディションに応募してアイドルになる。当初はこの世界を嫌がるも、少しずつ自信をつけて気持ちが変化していく。
●特訓前はお絵かきセットを持ちバラ模様のフードつきワンピースにふわふわのカーディガン、特訓後の衣装は頭に花冠、背には4枚の羽衣、そしてひらひらの青いドレス。
●成宮由愛とは妖精である。
概要
ソーシャルゲーム「アイドルマスターシンデレラガールズ」の運営が開始されてからおよそ3ヶ月後、閏年であることを示す2012/02/29に「禁断の黒魔術」コンプガチャが実施された。既に述べた通り、このガチャをもって由愛はゲーム内で初登場を果たすことになり、以後様々な面で活躍していくことが期待される。特訓前はプロデューサーと初めて対面して困惑しながらも次第に慣れていく様子が、特訓後は衣装に着替えてステージに立つ直前の会話を描いたものとなっている。当ガチャは2012/03/14までの開催となった。
なお、2012/05/05に日本の官公庁である消費者庁は巷で人気のコンプリートガチャを景品表示法違反にあたると判断したことから、シンデレラガールズ運営およびmobage(DeNA)側は答申するような形でコンプガチャの廃止を決定した。これに伴い、2012/8/14~2012/8/27には「新・禁断の黒魔術」スカウト券付ガチャのレアとして由愛は同絵柄・同能力値のまま再登場をしている。シンデレラガールズにおける運営上のこの逆境を都合よく逆手に取ったのかは定かではないが……。更に、イベント限定ガチャでの復刻もあり、限定といえど手に入れる機会は十分にあったアイドルといえよう。また、この時点では想像もつかない事だが、シンデレラガールズスターライトステージでもレアからノーマルに格下げという形になったものの同じ絵柄で再登場する事になった。詳しい説明は後に続く第3章スターライトステージに譲るが、立体的に由愛を視認することができるようになったのは特筆すべきことである。ただし今後、モバゲー版シンデレラガールズにて無印の登場が難しいことを意味した上での配慮なのかは定かではない。
カードの能力値については登場当初を振り返った上で他アイドルと比較しても、決して高いものとは言いがたい。
解説と考察
特訓前
タイミング | セリフ |
---|---|
プロフィール | …えっと…あ、あなたが…プ、プロデューサーさん……です…か? 私はアイドルとか…するつもりないのに…。マ、ママが勝手に応募して……。知らない人に会うの…ムリなのに…。私……どうしたら…… |
親愛度UP | プ、プロデューサーさんに…ちょっとだけ、なれてきました…よ…… |
親愛度MAX | 最初は嫌だったけど…ずっと私を見てくれた…○○さんのためにも…ちょっとだけ…頑張ってみます…アイドル… |
リーダーコメント | や、やさしくしてください |
マイスタジオ① | おはよう…ございます…… |
マイスタジオ② | プ、プロデューサーさん…あ…やっぱりなんでもありません…… |
マイスタジオ③ | (なにか描こうかな…) |
マイスタジオ④ | 絵は見ないで下さい… |
マイスタジオ⑤ | ○○さん………へへ…名前…呼んでみました…… |
お仕事① | お疲れ様です…… |
お仕事② | (わわわ…) |
お仕事③ | プ、プロデューサーさん……アイドルって…大変なんですね…… |
お仕事④ | か、帰りたいです…… |
お仕事⑤ | ○○さんとなら…アイドルも…できるかもです…… |
「…えっと…あ、あなたが…プ、プロデューサーさん……です…か? 私はアイドルとか…するつもりないのに…。マ、ママが勝手に応募して……。知らない人に会うの…ムリなのに…。私……どうしたら……」
由愛の母親が勝手に(恐らくオーディションかそれに準ずるものに)応募したがために、アイドルの世界に関わることになってしまった女の子である。彼女にとってこの話はまさに寝耳に水だったようで、初対面のプロデューサーに対してもかなり怯えた一面を見せることになる。それは「か、帰りたいです……」の発言からも判るとおり、元々引っ込み思案な性格であり、これに起因してアイドルという仕事に対してもあまり乗り気ではなかった。知らない人に会うのは苦手(本人曰くムリ)らしいものの、アイドル活動をこなしていく過程で少しずつその考え方に変化が見え始める。次第にプロデューサーのことも打ち解けるようにもなり、単に役職で呼ぶのではなくプロデューサーのことを名前で呼んでみたりと、これまでの対人において臆病であった姿勢から切り替わり、段々と前向きな仕草を見せるようになっていく。つまり、特訓前はプロデューサーと初めて出会っただけでなく、アイドルの仕事やレッスンを積み重ねることをきっかけとして、彼女自身の内向的な性格がゆっくりと雪解けていく様子が描かれているといえるだろう。
また、趣味は穏やかな彼女らしく、写生や水彩画といった正統派の絵画であり、それを象徴するように特訓前の彼女は、マルマン社の特徴的なデザインでお馴染みのスケッチブックと、茶色の木目模様をした画材セットをもって登場する。ただし、自身の絵を人に見られたり、描きかけの絵を見せるのはあまり好まない(恥ずかしい)ようで、これは本人の会話からも見て取れる。
特訓後
タイミング | セリフ |
---|---|
プロフィール | プロデューサーさん……あの、着替えました……これで…私も…アイドルに見えますか……?ほ、本当……?あ、この前……ママに明るくなったって言われたの…きっと○○さんのおかげ…です… |
親愛度UP | ○○さん、頑張ったご褒美に…や、やっぱりいいです… |
親愛度MAX | あの…私、○○さんのこともっと知りたいです…。私たち、パ、パ、パートナーなんですから…聞いてもいいですよね…? |
リーダーコメント | 見ててくださいね |
マイスタジオ① | おはよう…ございます…… |
マイスタジオ② | (なにか描こうかな…) |
マイスタジオ③ | 描いてるのに見ちゃダメです… |
マイスタジオ④ | 絵は見ないで下さい… |
マイスタジオ⑤ | ○○さん……あの……次のお休みは…何してますか…? |
お仕事① | か、帰りたいです…… |
お仕事② | (わわわ…) |
お仕事③ | 緊張するけど…が、頑張る… |
お仕事④ | プロデューサーさん、今のどうでしたか? 100点満点中でいうと…? |
お仕事⑤ | ○○さん、頑張ったのでご褒美…な、なでてください |
「プロデューサーさん……あの、着替えました……これで…私も…アイドルに見えますか……?ほ、本当……?あ、この前……ママに明るくなったって言われたの…きっと○○さんのおかげ…です…」
特訓後、衣装に着替えることで一段とアイドルらしく成長する。
上段をヒヤシンス色、下段にはライトシアンといった青を基調とした透明感ある二段構造のドレスを身に纏い、これとは対照的に、ウェストには唯一の暖色系である銀朱色のリボンで留めている。左腕にはペパーミントグリーンをベースにした腕輪を身に付け、首背部から外側にかけてホワイトリリー色の羽衣が計4枚伸びており、歩く或いは走るなどの動きを見せることで宙を舞うように設計されたものと推測できる。そして、頭上には同種類の花で編み込まれた花冠を戴く。こうした様子は一見すると、風や水といった自然の中に調和する妖精を模した姿をしており、本物と間違われても何ら不思議ではない雰囲気を醸し出している。デザインの観点からは反射材を使用した煌びやかなアイドルの衣装というより、演劇やミュージカルといった古風な物語などに付随されるクラシックな衣装といえるかもしれない。
さて、特訓後において事の発端でもある彼女の母親からは「明るくなった」と評されており、本人もこのことを嬉しく思っているのか、特訓前よりも仕事に自信を持ち始めた様子を窺い知ることができる。さらに頭をなでてほしいといった発言「○○さん、頑張ったのでご褒美…な、なでてください」や、「○○さん……あの……次のお休みは…何してますか…?」など、プロデューサーのことをパートナーとしてもっと知りたい様子から、積極的に親密な関係を築こうとしていることも理解できる。また、「プロデューサーさん、今のどうでしたか? 100点満点中でいうと…?」といった仕事の評価を点数で伺うなど、クールタイプらしい現実的な一面も垣間見せている点も必見である。とはいえ、特訓後も相変わらず描きかけの絵を誰かに見られることは恥ずかしいようである。
特訓前と特訓後における、彼女と母親のやり取りを推測すると、母親は内気な娘をできるだけ前向きな性格にさせる目的をもって、わざとアイドルに応募したのかもしれない。
妖精というテーマ
ウィリアム・シェークスピアの戯曲『夏の夜の夢』には悪戯好きの妖精パックが登場し、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲『ファウスト 悲劇第一部』においてはヴァルプルギスの夜にて金婚式を挙げるオーベロンとティターニアが描写されるといった具合に、世界的な文豪ですら「妖精」をテーマとして捉えることがある。
妖精は自然の中に住まう精霊の一種として、主に西洋の物語やおとぎ話、そして人から人への言葉による伝承などに形成されて見られる。その姿は大抵、正確に見ることができない、あるいは把握できないといった傾向にあり、こういった妖精に纏わる話は姿、形、そして性格は違えど世界各地に散見されるのが現状である。善悪を問わず、人々を驚かせるような行動をとることによってその存在を知らしめることになるのだが、この背後には人々が思わず気に留めてしまうような核心がどこかに潜んでいることが窺えよう。
姿を捉えられないからこそ理想のようなものを抱くのか。人々が伝説を口承し続けるのは、言い方をかえれば人々の興味を惹き続けているからと見て取れるのだ。そして、通信手段のなき時代の産物でありながらも、長い歳月をもってしても廃れることのないという事実こそが、人々を魅了する力に溢れていることの証明にもなるだろう。先の文豪たちはこうした伝説に何かしらの興味や面白さといったものを抱いていたからこそ、それに纏わる作品を上梓するに至ったのかもしれない。
そして、各メディアによって日々新しい作品が当たり前のように絶えず出現するようになった現代においてもその風潮は変わることはなく、シンデレラガールズにもこうして妖精というテーマが成宮由愛をはじめ、一部のアイドルの中に投影されているのが現状である。この流れを単純に機械的に繰り返されたプロットだからという理由で納得してしまうのはやや尚早であり、人の本質的な興味を長年突いてきたからこそ、逆説的に我々の心理を知るための鏡にもなるのだ。幾度となく採られる選択肢の中には意義があることを是非とも把握したいところである。