[リトルプリーステス]成宮由愛

提供: 成宮由愛非公式ガイドブック
移動先: 案内検索


25th April, 2013
Sagurada.jpg


07.jpg
08.jpg


●初の上位SR報酬としての抜擢を受ける。スペインという偉大な芸術家たちの軌跡に触れ、自信を持ってLIVEツアーステージに立つことができた。なお、ステージの場所はサグラダ・ファミリア内部の祭壇である。

●特訓前は黄色のブラウスを着て絵を描いている様子が窺える。特訓後についてはリトルプリーステス(小さな教皇)の名の通り、ドレスやステージ衣装というよりはカッチリとした式服を纏っての登場であった。

●描けた絵を由愛の方から見せてくれるようになった。


概要

アイドルLIVEツアーinスペイン

これまでの記事の冒頭に掲示した日付を追ってみると、初登場の禁断の黒魔術コンプガチャからおよそ1年と2ヶ月という月日が経過しようとしていた。その矢先、春の終わりと夏の訪れを予感させる新緑の風が舞い込むかの如く「アイドルLIVEツアーinスペイン」(2013/04/25 15:00:00~2013/5/7 14:59:59)において、由愛はついにイベント上位報酬として初のSR昇格という大抜擢を受けた。アメリカ、イギリス、イタリア、そして今回のスペインという流れを汲むこの各国へのツアーイベントは、他のイベントよりボーダー推移が甘めと認知されていた事もあり、由愛Pの中にはこの表面上の様相に幸運とさえ感じていたかもしれない。


だが、終わってみれば当初の「ボーダー甘め」などといった認識はいとも簡単に裏切られる格好となる。それはシンデレラガールズの総決算ともいうべき2回目の総選挙が重なって実施されただけではなく、少なからず予想されていたSR神崎蘭子の出現が能力・絵柄(スケッチブックに描いた絵を恥ずかしがって隠す)共に申し分のない形で月末ガチャによって実現したためである。イベント当時のクールタイプ最強性能を誇るばかりでなく、人気声優の内田真礼がCVを担当(ただしガチャ開催当初から声が充てられていたわけではない)し、第2回総選挙の投票券が与えられ、さらにイベントにおけるスターダムパワーも相乗するといった様々な特典が相俟って全国のプロデューサーらの射幸心は大いにそそられることになった。結果、蘭子狙いでガチャを引いた人までもイベントに参加するなどこれまでのイベントを踏襲、それどころか更なる多々買い(俗に言う、多々買わなければ生き残れない)を蔓延らせるイベントに変貌してしまった。余談だが、神崎蘭子は第2回総選挙において2代目シンデレラガールの称号を獲得している。


スペイン

さて、イベントの舞台となったスペインとは、日本とほぼ同じ緯線上にある欧州の国の一つであり、大西洋と地中海との間にポルトガルと隣接しながら楔を打ち込むかのようにして国土が存在している。ケッペンの気候区分でいう地中海性気候に概ね当たり、年間降雨量は東京と比較し、現地の状況を勘案してもかなり少なく、夏は日ざしが強く乾燥するといった気候である。詳しくは外務省のページを参照されたい。


スペインを代表する芸術家ダリ

サグラダ・ファミリアの存在をはじめとするアントニオ・ガウディの建築作品群や、ピカソやミロ、ダリといった偉大な画家の作品を展示した美術館など、芸術的拠点・世界遺産が数多く点在しており、それぞれ何らかのテーマを持ったり、時の哲学思想に彩られたりと大変興味深いものがある。人類の歴史を探るうえでも大きな意味を持つ北部カンタブリア州のアルタミラ洞窟壁画や、レコンキスタに見られるキリスト教圏とイスラム教圏との対立、いち早く大西洋より船出して他国に先を取って世界覇権を目指したスペイン特有の歴史的背景など、こうした異文化の流入が恒常的にあり得た関係によって、文化同士の時間的淘汰および融合が繰り返されることで独特の風格を齎すことに繋がっている。その延長として、カスティーリャ人やバスク人などのスペイン国内における各民族固有の文化を互いに主張し合う拮抗した姿勢、いわゆるエスニック・ナショナリズムが今日に至るまで展開し続けている。

こうした民族における風俗や習慣などが領土内で大きく異なるとしながらも全国民の約75%を束ねているのが、サグラダ・ファミリアのバジリカにも代表される敬虔なカトリックによるキリスト教なのである。カトリックの割合がアメリカでは約20%、ローマ教皇庁を包含するイタリアでは90%を超える点からも、75%という数字は比較的多いものといえる。また、カトリックを後援するイエズス会創設の一角にスペイン人が関わっている。時は航海技術が発達した大航海時代とはいえ、海を越えてまでも新天地へ布教に赴く姿はまさに"モンマルトルの誓い"を忠実に守り抜くものであり、情熱や敬虔という言葉を充てる他なかろう。キリスト教(特にカトリック)は歴史的にその宣教を行うに当たって美術や音楽、建築などといった芸術方面と非常に強固な関係で結びついており、過去の作品が今に現存していたり、こうした文化を積極的に維持するといった姿勢は、蓋し、宗教を大きな拠り所にしていると見てよい。このように、国と宗教そして文化が密接に相関したのがスペインであり、単に情熱と捉えるだけに止まらず、史実に裏打ちされて貴賎を問わず多彩な文化を誇る芸術の国が成り立っていることが理解できるだろう。


リトルプリーステス

サグラダ・ファミリアのステンドグラス。七色の輝きは由愛のいうように油絵の世界という表現が相応しいほど鮮烈な印象を残す。


「この聖堂…キレイです…。まるで油絵の世界みたい…。ここならちょっとだけ自信を持てるかも…」


もちろん、このようなスペイン独特の雰囲気に芸術家気質の由愛の持つ感性を大いに刺激されていたようで、特訓前や特訓後、イベント中の台詞の節々には普段よりも開放的な様子を窺わせている。とはいえ、異郷の地で、しかも仕事として高らかに歌い上げることはアイドルとはいえそもそも決して簡単なことではなく、「○○さんといっしょに…たくさん練習しましたから…」という言葉はそれを静かに物語る。それでも懸命に特訓を続け、ステージに立って人々を魅了していこうとする真摯な彼女の姿は、現地の人から見れば異国の者でありながらも、きっと高貴な存在として映ったことであろう。 そんな彼女に与えられた二つ名は[リトルプリーステス]、プリーステス(priestess)は女性の高位司祭を意味する。日本ではタロットにおける大アルカナ、女教皇のイメージが強いだろうか。それを踏まえて、さしずめ「小さな女教皇」や「少女教皇」といった、直訳的ではあるがそのままの意味で解することが妥当である。


なお、能力値について言及すると、攻のパラメーターがやや高いものの、特技・ステータス共に攻守バランス型である。一線級の強SRからすればやや劣る性能でありながらも、攻守ともに15,000を超えており、これまで三度登場したどのカードの値よりも格段に強い。攻守を総合的に勘案するプレイヤーにとってはリーダーアイドルに配置して差し支えないものとなっている。いってしまえば一点のキャラクターのみを配置する「艦隊」を理想とするプレイヤーにとってはうってつけの采配と読み取ることもできようか。

解説・考察

特訓前

007.jpg


「こ…ここは人が少なくて…落ちつくんです…。それに…ここからだと…よく見えます、サグラダファミリア…。今日は…お絵かきびより…○○さんもよかったら…いっしょにどうですか…?」


海外公演というこれまでより大きな発表の場を与えられた由愛は、遠征の地スペインまで足を運んでいた。服装はよそ行きのものであろうか、清楚なレモンシフォンのブラウスに、ライトシアンのスカートといったやや地味ながらもシンプルで明るい雰囲気を醸し出し、ワンポイントには植物を模したカチューシャや首飾りといったアクセサリーを身につけている。 イベント当時の気候は日本とさほど大差はなく、地中海に面した気候も手伝い半袖を着用したその姿には早くも初夏の爽やかさを感じさせる。 (なお、2013/07/10現在の話ではあるが、ゲームの延長のイベントとして運営されているモバマスカフェにて、特訓前のイラスト原画を見ることができる。それによると、スカートの裾より下は白のミドルソックスを着用していることが判明する。)

特訓前は趣味の水彩による風景画をスケッチをしている姿を描いたものであり、「描く瞬間を描く」といったその構図は、やや在り来りと思えてしまうかもしれない。しかし、水彩画を描いている様子をモチーフにしたイラストはこれが初であり、「絵の具…持ってきたんです…。使い慣れたのが…いいから…」といって愛用の画材をわざわざ遠征地にまで持ち運んでくるところや、新春アイドルコレクションに見られた"えがおの自己暗示"を思い起こさせるフレーズ「見られてると…え、えがお…」などなど……随所に「由愛というアイドルならでは」といえるものがふんだんに籠められているところに、SRならではの魅力を見出せるといえるだろう。 なお、サグラダ・ファミリアの近くにはサルディーニャ通り及びガウディ通りといった道路が伸びており、そのどちらを挟んだ先にも小休止できる公園があるため、このどちらかおいてスケッチしていたものと思われる。手がけている絵を拝見すると、雨量の少ないバルセロナの開けた青空を背に、ガウディが誇るサグラダ・ファミリアを遠景から見たものであり、この建築がいまだ未完成であることを絵の中からも推知できる。「サグラダファミリア…すごく、大きい…」といった由愛自身の言葉にもあるように、大きな聖堂を前にしてその心がときめいたらしく、熱心に筆を取っていたところをいつのまにかプロデューサーに見つめられていて、そのことにやっと気付いた……こういった流れが自然と思い浮かぶようである。

特訓前の様子はこれまで三種のレアと同様、LIVE前の様子いわばイベントが行われる現地の内容にそった出来事を示したものであり、今回もこれを踏まえたうえで構成されている。そして、今回は特別な大役を担う海外公演ということもあり、やはり少なからず不安を抱えた姿が垣間見える。好奇心もさることながら、こうした不安定な気持ちを落ち着かせるうえでも絵を描いていたのである。ただし、不安に駆られるばかりではなく、「情熱…私にも…あ、あります…!」とする頼もしくも可愛らしい、しかし、そこにははっきりとした意思表示がある言葉も忘れてはならない。情熱という単語はスペインならおいそれよく聴かれるフレーズだが、これは今の彼女のアイドルに対しての姿勢であり、この言葉の真意はこれまでの仕事の経験やファンを大事にする発言、母親との会話のキャッチボールなどを振り返ることでより深い理解を与えてくれる。特に母親からは「○○さんのいうことしっかり聞いて頑張れ」と応援を受けて見送ってくれたこともあり、ママっ子である彼女としてはどうにかその気持ちに応えたいとする表れであるようにも感じられる。

「絵を描いていると…落ち着くんです…。でも、今は…少しドキドキしてて…なんででしょう…。○○さんがいるから…?」

アイドルの仕事への積極的な姿勢は、出会ったころの性格を勘案しても由愛自身がプロデューサーのことを「信頼」しているからこそできるものであって、これは成長していくその一つ一つの過程でゆっくりと育まれた強い結束そのものである。本来であれば、たとえ仕事とはいえ、年端もいかない娘を他人に預けて、しかも海外に送り出すことなど母親として到底できないことであるはずだが、こうしたお互いの信頼関係が彼女の母親に伝わり、理解されたからこそ、快く娘を送り出すことに繋がったと見ることができる。したがって、母親が送り出すという行為が同時に保護者として一定の評価を受けた証と捉えて差し支えないだろう。これはプロデューサー自身も由愛と同じく成長しているといえることなのだ。



特訓後

008.jpg

「大きなステージでひとりで立つなんて…すごく不安です…。けど、今まで○○さんといっしょにがんばってきた成果をみんなに見てもらいます…だから、見守っていてもらえますか…?」


ステージ上での彼女の新たな姿は、聖職者風の一見荘厳なローブに身を包みながら、パイプオルガンを背に高らかに歌い上げている様子を描いたものとなった。特訓後の衣装はプリーステスという言葉をそのまま反映してデザインされた祭服を主軸に、頭上には司教冠(ミトラ)を模した帽子を授かる。このようなイメージからやはり西方教会系の教皇を類推させるが、冠の左右には可愛らしい白い羽と水色のリボンが施されており、荘厳さを追求した衣装というよりは、どちらかといえば禁断の黒魔術ガチャにおける妖精の衣装と同様、原点に立ち返るかのように、演劇またはミュージカルに合わせたような衣装であることを連想させる。


衣装の生地に使われている白や青といった色は、宗派こそ違えどそれぞれキリスト教において「純真」や「純潔」の意味を持って用いられる。随所に施された金糸についても、祭服に使う意味のある意匠であることから、今回の衣装はそうした祭服の細部をもモチーフとしていることがよく理解できる。特に教皇が存在するカトリックは、その典礼暦年において時期や特徴を示すために固有の色の概念を持っており、例えば、「白」であるなら神の栄光、清らかさ、喜びを、「金」であるなら王位、尊厳、威風さを、「紫」であるなら償い、回心、死者への贖罪と冥福を、そして「青」であるなら"天"をそれぞれ表している。こうした色の背景に合わせて祭服・ストラなどの配色を決定することも、色の概念についてより深めるなら是非とも付け加えたいところである。

なかでも、特筆すべきは帽子やリボンにあしらわれた青薔薇であろう。 元々、青薔薇とは品種改良の方向から作ることは難しく、「不可能」といった花言葉が用いられていたほどである。そんな中、日本とオーストラリアの企業が共同で研究開発に乗り出すことになる。長年模索し続け、遺伝子組換え方面の学術的な蓄積が進んだことで、ようやく完成したものがこの青薔薇なのである。こうしたことから、現在の青薔薇の花言葉には共同研究を行った両社によって、「奇跡」や「夢 かなう」といった意味が籠められるようになった。 青薔薇も花言葉も確かに人為的に作られたものではある。しかし、少々情緒的になってしまうが、こうした幾つもの叙事から織り成される偶然には、どこか彼女を祝福しているように感じられるのではないだろうか。由愛にとっては意図せぬ門出ではあったものの、今や遠い異郷にて人々を魅了するようになった彼女の「夢」は、ステージの上で少しずつ形になりつつあるのかもしれない。 なお、付随する特技は《やわらかな眼差し》である。出会った当初も、元々優しい瞳の持ち主ではあるが、こうした仕事の中で段々と自信を身につけていく様子を見ても、その眼差しは一層深い慈愛のようなものに満ち始めたといえようか。これは、由愛Pからすれば感慨深いものがあるだろう。


「私が…こんなに大きなLIVEで歌えるなんて…すごく緊張するけど…○○さんがいてくれれば…きっと大丈夫です…。……あ、あの…本番まで…手、握ってもらっても…いいですか…?」


前回R、そして今回SRと「手を握ってほしい」という、どこか切ない言葉を伝えてきたが、手先が器用な彼女なだけに伝わるものも多くあるというのだろうか。これを特訓後の考察の一つとして検討していきたい。

人間の手は拇と他の指との対向性により物をしっかり掴むことのできる構造を有している。このような発達の背景には霊長目が物を掴んで生活するという進化を選び取った過程があるためで、この選択が手だけでなく、やがて脳をを発達させていく。こうした脳には意思や記憶といった思考領域を司るに対し、前肢末端にある「手」は脳で思考したことを実現したり、何か伝達したりといった機能を持つ。さらにそれだけに留まらず、外界から情報を取り入れるといった役割をも併せ持つ、人間にとって重要な器官であるといえよう。何かの行動には多くの場合、手という器官が伴うのだ。 また、傷口や疾病の部位を手で押さえるなど自身の身体に不調な部分があるときは、誰にいわれなくとも本能的にそこを手でさすったりする。こうした手によって庇おうとする行動は、シンプルな医療の姿と見ることもできよう。

それは日本語の言葉の多くには「手」という文字が引用されていることからも容易に想像がつくように、単に一個人の問題だけでなく、広く社会生活に意味のあるものとして浸透していることを示唆している。手形や手数料などの経済学的な言葉、歌手や文化の担い手などといった人の職業、そして、握手や"手を繋ぐ"といった人間関係までをもカバーする。 つまり事実として、人と人との様々な意思のやり取りは今日に至るまで実に目まぐるしく「手」を介して行われているといっても過言ではない。大なり小なり、人類の歴史はまさしく人類の手によるものなのである。

そうした手には、また別の人の手が触れ合うことで様々な効果があるものと考えられてきた。子供ように純粋な気持ちを持つとされる者の手が、病人の手を握り締めることで、治癒に貢献したという逸話は東西南北を問わず世界中に見られるし、宗教などの教義には今もなおこの方向性を意識的に重視し固持している傾向にある。科学の時代である現代においてさえ、治療の原点は心を込めて自らの手でやさしく触れることであり、重要な医療行為の一つとして看做されている。こうした効果は単なる風習や迷信などで終わることがなく、近年の医学における実証研究の成果として明らかになっており、手で触れられていることによる安心感が、病む人や傷ついた人に良い心理的効果を生み、病状そのものを快方に向かわせる効果があるとされている。 こうした手で触れる行為が人間の思考に善なるものとして結びついたとき、何らかの癒しのイメージを与えるだけでなく、より大きな可能性をも信じさせるのは、もはや文化や慣習などのレベルを超えた尊い概念の一つなのかもしれない。

こうした手の性質を踏まえた上で、もし由愛が手を握るという行為を善と捉えているのならば、彼女におけるプロデューサーとは安心できる人と思われていることを知識の上からまず認識できる。「あ、あの…私がアイドル続けられるのは…○○さんがいるから…なので…その…これからもお願いします…ずっと…」という言葉はこのことをそのまま反映しているだけでなく、こうしたやり取りが続いていくことは、互いに大きな存在になっていく可能性をも秘めているといえるのかもしれない。

ライバルユニット

以下について、ライバルユニット上での各エリアにおける詳細をまとめる。


セビリアエリア

セビリアはアフリカ大陸にかなり近い位置にあるスペインの南部の都市である。歴史的地理的な変遷からすればキリスト及びイスラム各勢力との直接的な拮抗の場になったことは最早いうまでもなく、711年にウマイヤ朝がイベリア半島に上陸してから1492年のグラナダ陥落までのレコンキスタの経過、地中海を通じた経済・文化交易、それにより発展する海洋技術の醸成など、全盛期のスペインへ繋がるための玄関口であったと考えらている。

さて、玄関であったのはLIVEのメンバーにとっても同様であり、由愛はいま自身の見つめている聖堂を***「この聖堂…キレイです…。まるで油絵の世界みたい…。ここならちょっとだけ自信を持てるかも…」***として関心を抱いていたが、セビリアで"聖堂"といえばカテドラルたる「セビリア大聖堂」を暗黙の内に示していると判断しても差し支えないだろう。なぜなら、推測に留まるとはいえ、本イベントの会話から判断してもセビリア大聖堂を示唆してなければ逆におかしいといえる情景が会話文から察せるし、セビリアの名を冠するだけあって都市を象徴するような建造物として世界的に名高いのも決め手の一つとなるだろう。また、聖堂内を表す***「声、よく聞こえませんでした…。場所が広いからかも」***発言は、この聖堂が想いの他に広大であることを示している、こうした点を繋ぐとセビリア大聖堂をイメージしたものと擬制されていくとみなせようか。

      • 「ちょっとの間、聖堂を…見てきていいですか。スケッチ…したいな」***

この聖堂は1402年に建設が始まってから16世紀に完成したルネサンスとゴシックの混合様式の巨大寺院で、スペイン最大の聖堂でありながら、世界では第3位の大きさの誇る大聖堂の一つとして、また、世界遺産として広く認知されている(参考までに、1位は伊ローマのサン・ピエトロ大聖堂、2位は英ロンドンのセント・ポール大聖堂である)。 聖堂内部はその柱の造りからして天井の高さを強調しているかのように感じるが、その高さは実に37mにもなる。***「わわ…歌、すごく大きく響きましたね…きっと天井が高いから!」***この通りに、声が響く要因にもなるだろう。聖堂を象徴する礼拝堂やステンドグラスなどがあり、礼拝堂の一部は鉄柵によって固く保護され、ステンドグラスにいたっては81枚もある。 また、かつてアメリカ大陸を最初に発見したとされるクリストファー・コロンブスの霊廟があり、この墓を護るように4人の王の立像がある。さらに、隣接する建造物としてアラベスク模様が特徴的なヒラルダの塔がある。この塔はかつてイスラム圏における祈祷の時刻を告げる高塔:ミナレット(礼拝堂モスクの構成要素の一つ)であり、鐘楼には28の鐘を有する。こうした聖堂の特徴からはレコンキスタの形跡を示すだけでなく、同時に文化の融合をも髣髴させる。

こうした、セビリアの聖堂を"油絵の世界"として自身に近い共通項を見出した由愛にとって、意識的か無意識的かはともかく、馴染みのあるものから少しずつ親近感を得ていくことで不安を払拭させているのかもしれない。ただ、***「やさしく…おねがいします…」***といった具合に、親元から離れスペインに着いたばかりで、その上ひとりでいることに安心と不安が並存する彼女の心理構造からは、まだ新しい土地に対してどこか不安の方が勝っていると見てよいだろう。


      • バルセロナエリア

セリビアより地中海沿線を辿っていくと、やがてフランス国境付近のピレネー山脈へと行き着くが、その途中にバルセロナという街がある。バルセロナは欧州でも有数の規模をもつスペイン第二の都市であり、城壁や城塞といった古い建造物の名残を基幹とした旧市街地と、その後の都市計画によって造られた碁盤目状に整備された新市街地の二つによって織り成された景観を誇る。バルセロナの街はこうした二つの空間が調和されているところが特徴で、街を歩いて回るだけでローマ時代の遺跡から中世都市、さらに近代都市へと時間旅行をしているかのような錯覚を味わうことができる。

バルセロナといえば、先にも紹介したアントニオ・ガウディの作品群や、ピカソを初めとした偉大な芸術家らの作品を展示した美術館が大きな見所といってよいだろう。実際に、ピカソ美術館をはじめ、ジョアン・ミロ美術館やバルセロナ現代美術館など、特に著名だった芸術家はその名を冠した美術館を持ち、それ以外にも政府や宗教などの助成を受けた美術館などが多彩に存在している。こうした事実はSRカードの絵柄そのものにも反映されており、特訓前は(写生したものであるが)サクラダファミリアの外観を、そして特訓後はサクラダファミリアその内観の様子を描いたものと知ることができよう。 これに対して、美術館についてはライバルユニットにおけるセリフの数々から汲み取ることができる。言わずもがな美術の素養が高い由愛は***「ばるせろな…って、美術館がいっぱいあるんです! たくさん見た分…たくさん歌いたいな…」***という具合に、自身の興味と合致しているバルセロナという場所に来れたことに嬉々としているのか、仕事に対しても情熱的に取り組む意思が窺えよう。

      • 「きれいな絵…見とれちゃいます…。すこし見ててもいいですか?」***

また、バルセロナエリアでは「ぴかそ風? できるかな…」というように、「ぴかそ風」という言葉を中心にして会話が展開している点が特徴である。美術館で見たものを、特にピカソの作風を歌に融合して籠めようとするところに、どこか由愛らしさを感じさせるフレーズであろう。ピカソといえば多角的な視点を意識することによって物事を捉える"キュビズム"を主体としているが、キューブという単語を変化させたキュビズム、その名のとおり、日本では立方派(立方体派)として呼ばれている。ここから判るとおり空間を意識した、すなわち多角的な視点を持つ作風であることが読み取れるだろう。具体的には、対象としているものを基本的な構成要素に分解し、それを再構成することで新しい形態の結合性を探り、理知的な空間形成を目指していくものである。***「ぐちゃぐちゃな歌に…なりました。ぴかそ風、むずかしいです…」***。ルネサンス以来、画壇の基本的な姿勢は視覚のリアリズム、いわゆる単一焦点による遠近法を根幹としてきた。しかし、キュビズムとは、この単一焦点を放棄するところに大きな魅力がある。一線を画したこの発想の出発点こそ、ピカソの描いた"アビニヨンの娘たち"であるとされている。

写実的伝統に付随する単一焦点から解き放たれたこの芸術運動は、いわば「概念のリアリズム」を主張するものである。三次元的な現実社会の概念を二次元的に翻訳するだけでなく、絵画という行動を一つの美的存在として結実させることを目標とした、20世紀における最も重要な芸術運動として評価されている。それを裏付けるように、絵画だけでなく、写真、彫刻、建築などといった各芸術細目に波及していった。***「うまく…歌えました。ごほうびに、絵はがき買おうかな…」***。歌においてもこの流れが結実していくかどうか、空間を自在に操作していく音楽についての関連性が気になるところである。